本部地区第123回歩こう会

「千寿(千住)七福神めぐり」

令和6年1月11日(木) 参加者14名

 ( 顔の部分にマウスポインタを当てると名前が出ます 敬称略)
集合写真
後列左より、木原仁博、坂井大和、原田浩次、高田裕治、早出誠治、
門田明徳、富山憲一、柘植 茂、石井和夫、山岸鷹雄
前列左より、飯箸 弘、小花秀一、森 邦彦、西牟田健

  日光街道の初宿としてにぎわい、古くから寺社が点在する千住の街並みを
 散策しながらの七福神めぐりです。
 
  前日までの暖かさから一転、この冬一番の冷え込みとなりましたが、
 参加者14名揃って北千住駅西口をスタート、約15分で氷川神社・仲町に到着、
 ここから時計回りに7か所をめぐりました。
 
 (1)氷川神社・仲町(弁財天)
    延喜年間(901〜923)に創建、元和2(1616)年に荒川堤防を
    造成する際に当地に遷座されたもの。
    弁財天は弁天池の中島の祠に祀られ、右手に剣、左手に宝珠を持っています。
 
 (2)稲荷神社(福禄寿)
    天正4(1576)年より当地にヤッチャバ(青物市場)が形成され、
    当社はこのヤッチャバの守護神として崇敬されてきました。
   「千住青物市場創立三百三十年記念碑」と大書した高さ4m余りの石碑がありました。
 
 (3)八幡神社(毘沙門天)
    源義家が奥州討伐に赴く際、隅田川の渡し場に白幡を立てて戦勝祈願したことが
    始まりと言われています。この故事に因み「白幡八幡宮」とも呼ばれています。
 
 (4)千住神社(恵比寿天)
    延長4(926)年に創建、大正4年に千住神社と改称されました。
    境内にはくるくる回る「願かけ恵比寿」があり、恵比須様を男性は左へ、女性は右へ3回まわし、
    願いの言葉を3回念じながら白いハンカチで3回なでるという珍しい願かけ法です。
    参加者の皆さん、それぞれに思いを込めながら恵比寿様を回して願かけをしていました。
 
 (5)元宿神社(寿老人)
    天正年間(1573〜1593)に甲州からの移住者によって開墾された元宿の地に、
    その人々の守護神八幡神が鎮守として祀られたのが起源といわれています。
    大正5年に建立された「感旧碑」は、明治43年の大洪水を契機に計画された荒川放水路の
    開削によって、住んでいた元宿耕地を去らざるを得なかった経緯と思いが記録された石碑です。
 
 (6)氷川神社・大川町(布袋尊)
    鎌倉時代の永仁2(1294)年に素戔嗚尊(すさのおのみこと)を勧請したのが始まりとされています。
    拝殿手前の「紙すき碑」は、かつてこの地域で紙すき業が盛んだったことを物語っています。
 
 (7)千住本氷川神社(大黒天)
    徳治2(1307)年、千葉氏が牛田(千住曙町)に牛田氷川神社を創建、江戸初期に分社を建立したが、
    明治43年の荒川放水路構築の際に分社であった当社が牛田氷川神社を合祀したとのことです。
    境内には「ラジオ体操発祥の地」の石碑がありました。
 
  七福神めぐりを無事に終え、北千住駅近くの懇親会場に移動、
 飯箸さんの乾杯のご発声で懇親会をスタートしました。
 
  冷え込みの強い中を歩いてきたこともあって熱燗の注文が相次ぎ、にぎやかな語らいが続いて、
 予定の2時間を迎えたところで原田さんの博多一本締めでお開きとなりました。
 
  今回の出席者は14名でした。(敬称略)
  飯箸 弘、石井和夫、小花秀一、木原仁博、坂井大和、早出誠治、高田裕治、
  柘植 茂、富山憲一、西牟田健、原田浩次、森 邦彦、門田明徳、山岸鷹雄
 
 
                                      (幹事:小花秀一 記)
 
           
  
福禄寿前にて千住神社にて
  
願かけ恵比寿前にて寿老人前にて
  
布袋尊前にて大黒天前にて
  
懇親会風景@懇親会風景A
懇親会風景B

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