本部地区第125回歩こう会

「中原街道 小杉宿を歩く」

令和6年6月13日(木) 参加者17名

 ( 顔の部分にマウスポインタを当てると名前が出ます 敬称略)
武蔵小杉駅にて集合写真
後列左より、柘植 茂、岡本邦雄、木原仁博、平盛秀正、内藤誠治、
小花秀一、高田裕治、門田明徳、石井和夫、西牟田健
前列左より、山崎進弘、松内俊夫、原田浩次、飯箸 弘、早出誠治、
山岸鷹雄、富山憲一

  数日前には6月13日は雨との天気予報でしたが、今年は梅雨入りがかなり遅れているようで、
 歩こう会開催当日は心配された雨もなく、また午後からは気温もかなり高くなるのでは
 という予報も外れ、散策にはもってこいの気候となりました。
 13:10にJR武蔵小杉駅北口に集合、全員での記念写真を撮った後、二班に分かれて
 「神奈川区いまむかしガイドの会」のお二人にコースを案内していただきました。
 
  中原街道は東海道の脇街道として江戸・虎ノ門を起点として平塚の中原御殿に至る
 江戸時代の幹線道路です。中原街道には4カ所の継立場があり物資の輸送に
 関わっていましたが、その一つが小杉村にありました。
 江戸時代初期の小杉村には、将軍が宿泊・休憩した「御殿」と、
 二ケ領用水を14年かけて完成させた代官・小泉次大夫の「陣屋」がありました。
 二ケ領用水は徳川家康が新田開発を目的に作らせた農業用水で、
 久地の分量樋から四つの堀に分水して編目状に流れる用水路です。
 稲毛領と川崎領の二ケ領を流れているので二ケ領用水と呼ばれ、
 60ヶ村二千町歩を潤したということです。
 
  武蔵小杉駅を出発して、今は暗渠となっている二ケ領用水・上丸子堀跡を
 10分ほど歩いて中原街道に入りました。
 最初に立ち寄った原家(石橋本家)は昔、多摩川の水害から人々の暮らしを守るため、
 方々に石橋を架けたことから「石橋」の屋号で呼ばれ、
 明治期には手広く肥料の商いで財を成したそうです。
 
  次に立ち寄った安藤家は、仕えていた小田原北条氏滅亡後に祖先が小杉村に定住して帰農、
 江戸時代は代々名主を務めました。長屋門は江戸末期の建物です。
 更に街道沿いを歩き、石橋醤油店(原家)へ。石橋本家の分家で江戸時代から続く旧家、
 明治3年頃から醤油造りを始めました。
 
  その後、二ケ領用水を完成させた小泉次大夫の陣屋(小杉陣屋)跡に建立された「陣屋稲荷」、
 小杉御殿の御蔵(米倉)があった場所に建てられた「御蔵稲荷」、
 御殿の中心的な建物である御主殿の跡地に建てられた「御主殿稲荷」を回って小杉御殿の表門跡に。
 小杉御殿は約1万2千坪の広大な敷地だったとのことです。
 
  すぐそばの「西明寺」で一休み。西明寺は奈良時代の創建で、
 鎌倉時代に執権・北条時頼が中興開山した真言宗の古刹です。
 西明寺を出た後は等々力緑地の中を歩き、川崎市公文書館で再びトイレ休憩の後、
 二ケ領用水の本流である川崎堀を見学。
 そして最後に立ち寄ったのが「泉澤寺」。世田谷領主・吉良頼高(武蔵吉良系)の菩提寺として
 1491年に多摩郡烏山に創建されましたが、火事で消失。
 1550年に頼高のひ孫・頼康が現在地に再興しました。
 
  小杉十字路のバス停でバスを待つ頃になってようやく陽が差し始めました。
 バスに乗車して武蔵小杉駅まで。駅前でガイドのお二人、
 所用で懇親会を欠席される方々とお別れして懇親会場に向かいました。
 
  定刻の16時30分、富山さんに乾杯のご発声をお願いして懇親会をスタート、
 小杉宿の話題や今後の歩こう会へのリクエスト、昔話等々にぎやかな語らいが続いて、
 予定の2時間を迎えたところで平盛さんの中締めでお開きとなりました。
 
  次回は10月31日(木)、「生田緑地と日本民家園」を予定しています。
 多くの方のご参加をお待ちしています。
 
  今回の出席者は以下の17名(敬称略)でした。
 飯箸 弘、石井和夫、岡本邦雄、小花秀一、木原仁博、早出誠治、高田裕治、
 柘植 茂、富山憲一、内藤誠治、西牟田健、原田浩次、平盛秀正、松内俊夫、
 門田明徳、山岸鷹雄、山崎進弘
                                   (幹事:小花秀一 記)
 
              
  
二ケ領用水中原街道指標
  
陣屋門西明寺
  
一休み泉澤寺
  
懇親会風景@懇親会風景A
  
懇親会風景B懇親会風景C

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