走って、歩いて、地球を2周
古川國男さんが42年で達成
本部 古川國男さんが、ジョギング・ウォーキング併せて
約42年で80,000キロを達成されたそうです。
42年間のジョギング、ウォーキング遍歴を投稿いただきました。 (門田明徳 記)
ウォーキングは平成8年に始めたので、まだ20年くらいですが、
前史があって、そもそもは昭和51年長浜に勤務しているとき、
人間ドックで糖尿病境界型の指摘を受けたため、
減量目的でジョギングを始めたのがきっかけでした。
それからすると42年くらいになるでしょうか。
70才になって胃がん(全摘)、副甲状腺腫瘍(一部摘除)、
間質性腎炎(透析で2ヶ月入院)と立て続けに難病に取り憑かれ
OB会の皆さんにもご無沙汰でしたし、
そろそろ終活準備かなと思ってこれを認めた次第です。
最初は1kmがようやくで、神前の社宅から川崎の独身寮、
テニスコートまで、「1km走ると帰りは歩き」でした。
自然環境に恵まれ、毎日欠かさず走り続けた結果、
8年の湖国勤務を終える頃には毎朝6km、
休日には木之本とか米原まで走り、帰りはJRというところまでになりました。
体重も10kgほど落とすことに成功しました。
ここまでくると、ほとんど病みつきで、出張の時も早朝走っていました。
その後、本社、平塚、本社、再度の長浜と勤務するなかで近くの市民マラソンに
参加しながら距離を延ばしていき、平成5年には55才にして
カナダバンクーバーでフルマラソンを完走するまでに至りました。
平塚工場の総友会仲間と毎年合宿、山中湖、河口湖、西湖湖畔などを
走ったのが走力を付けられたお陰でしょうか。
本社時代に組合役員と総務若手(人事の下瀬さんたちと総務の小生)とで
一晩かけて山手線を一周したのも貴重な思い出です。
ただ自己流でがむしゃらに走ってきた所為もあって足のあちこちに痛みや違和感を
覚えるようになったため、足に優しいウォーキングに切り替え、今に至りました。
2度目の長浜時代には「びわこ長浜ツーデーマーチ」というのに参加し、
二日続きで40km(一日目山の辺コース(伊吹山山麓折り返し40km)、
二日目湖の辺コース(湖畔奥琵琶湖折り返し40km)を歩き、
くたくたになって工場の大きな風呂に浸かったのが思い出されます。
リタイア後は福祉施設などでのボランティアやよこはまウォーキング協会の役員
(これもボランティア)をずっと続けていますが、これで新しい仲間も増え、
毎年2,3回は自分でウォーキングイベントを企画したりするのも刺激となっているかと思います。
リタイア後の大きなウォーキングは、ボランティア仲間と1ヶ月かけて
旧中山道を歩き通したことと、博多に1人住まいしていた母親の世話で
年に何度か博多と往き来する間に旧東海道をあちこち上ったり下ったりして、
4年くらいで歩き通したことでした。
走、歩行の距離の累計はジョギング時代が3万5千km超、ウォーキングになって4万5千km超となり、
合計すると地球を2周したことになりました。
一昨年秋間質性腎炎を起こし、2ヶ月「透析」入院し、体重が激減(想像できますか?45kgしかありません)、
体力が落ち、ヘボゴルフもほぼできなくなったため、身体を動かすことと言えば、歩くことだけとなりました。
町内のボランティア仲間と毎日防犯パトロールや児童見守りをすることと
月に何度かよこはまウォーキング協会のイベントのお世話をしながら歩くことくらいになりました。
最盛期は年間3500kmくらいというのがありましたが、
今は一日平均一万歩、5〜6km、これでも年間にすると1500kmくらいにはなります。
「継続は力なり」と林規元社長に言われたことが励みとなりました。
「歩かなければ歩けなくなる」と言われています。
人生100年の時代と言われるようになりましたので、
皆さんも、精々、歩いて、お元気にお過ごし下されますようお祈りしています。
(古川國男 記)
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