長浜支部「第25回歩こう会」
平清盛と妓王ゆかりの里と古代のロマンにふれる
平成24年11月22日(木) 参加者 16名
(顔の部分にマウスポインタを当てると名前が出ます)
平成の妓王と記念撮影
10時50分 JR野洲駅集合。「今年最後の行事で・・」森川支部長の挨拶、磯田さん号令で柔軟体操、後藤さん編集の冊子でコースマップと史跡解説を受けたあとスタート。
主なコースは、中山道を歩いて桜生史跡公園〜銅鐸博物館〜弥生の森歴史公園(昼食)〜菅原神社〜永原御殿跡〜妓王寺〜妓王屋敷跡〜北村季吟句碑〜妓王井川に沿って、朝鮮人街道を野洲駅に戻る。
1、桜生(さくらばさま)史跡公園
公園管理棟で係の方から大岩山古墳群のうち天王山古墳(前方後円墳 長さ50m)・円山古墳(円墳 直径28m)・甲山古墳(円墳 直径30m)の説明を受けたあと、副葬品と実寸の石室模型の見学。
何れも6世紀初めから中頃の横穴式で手前に刳抜式家形石棺、その奥すぐ近くに追葬された組合式家形石棺があり、副葬品から東アジアとの交流があったとのこと。
そのあと山に登って石棺を見学。両手足を広げて横たわることができる大きさの石棺を「熊本県宇土半島からどないして運んできたんやろ? などワイワイ」
2、銅鐸博物館・弥生の森歴史公園
大岩山から、明治14年と昭和37年の新幹線工事で計24個の銅鐸が出土。その中に日本最大(高さ1.35m)のものがあり、その銅鐸を製造当時の色に再現した黄金色のレプリカ(同じ配合の8/2青銅)が展示。鮮やかな袈裟襷の文様などが一面に施されていて、知ったかぶりが「これ高岡の彫金やで」、学芸員が「作家も鋳造も京都で、文様は鋳型です」。館内の展示を見て納得。「2000年前にこんな技術があったなんて・・」の声も。
銅鐸博物館を出て弥生の森歴史公園の復元された竪穴住居・高床倉庫の側で弥生を感じながらの昼食。
3、永原御殿跡
江戸時代初期、将軍上洛時の宿泊施設として整備された城郭で、徳川家康・秀忠・家光の三代にわたり用いられた。堀や土塁、石垣がその面影をとどめている。
4、妓王寺・妓王屋敷跡・妓王井川
妓王寺は「平家物語」巻第一「妓(祇)王」の段にある平清盛に寵愛された白拍子妓王(祇王)が、妹(妓女)・母(刀自)・ライバル?(佛御前)と一緒にまつられている。すぐ近くに妓王屋敷跡と伝えられる所があり「妓王碑」が建っている。
妓王井川は野洲川を水源とする12キロの古くからの用水路で妓王が清盛に願い出て完成し、妓王に感謝して水路を「妓王井川」と名づけたと言われている。これらの歴史を白拍子に装った「平成の妓王」さんから説明を受け、タイミングよく大河ドラマ「平清盛」11/18日放映で妓王が突如現れたこともあり見学に花を沿えてくれた。
紅葉をめでながら、清盛・妓王から古代のロマンに心を馳せ・あそびながらの約15キロでした。
長浜帰着後、希望者による老舗食堂での打ち上げで本年最後の行事〆となった。
今回の参加者は、次の16名でした。
磯田 智、岩根信次、大村元孝、金澤淳三、北村柾美、木下勝康
後藤健二、佐藤正敏、鈴木健治、中村利之、西沢芳朗、西島藤夫
野呂忠章、橋本 忠、馬場智章、森川栄壽
(知ったかぶり=野呂忠章 記) (写真 磯田 智)
円山古墳石棺入口
銅鐸レプリカとともに
妓王寺
妓王の説明に聞き入る
今も流れる妓王井川
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