長浜支部第45回歩こう会
広大・荘厳な奈良・平城宮跡を歩いて奈良時代を振り返る
令和6年11月22日(金) 参加者11名
(顔の部分にマウスポインタを当てると名前が出ます 敬称略)
朱雀門前にて集合写真
左から:小林貞人、大岡弘和、馬場智章、森川栄壽、大村元孝、
野呂忠章、柴田喜三、磯田 智、直井一博、鈴木健治、岩田正博
今回の歩こう会は初めて奈良まで足を延ばし、平城宮跡を散策しようとの企画です。
10時15分に近鉄の大和西大寺駅に到着。
支部長挨拶、幹事さんの説明の後平城宮跡へ。
平城宮跡とは(展示資料等より)
奈良時代の都として唐の長安に倣って造られたのが東西4.3km、南北4.8kmの「平城京」。
この都の中央北端部に政治の中心となる1km四方の「平城宮」が造られた。
周囲には築地大垣が築かれ貴族や役人など限られた人のみ入れた。
平安時代になり都が移されてしばらくすると平城宮一帯は田畑となり、長らく埋もれていた。
昭和34年から継続的発掘調査が開始され、その後平城宮跡の保存整備事業が継続的になされ、
復元された建物や各種施設も出来た。
現在は国有の「平城宮跡歴史公園」となっている。
平城宮跡には北側中央の佐伯門より入り、まずは南側中央の朱雀門を目指して歩行開始。
この辺りは荻(おぎ; 背の高いススキのような植物)の群生地や草原が広がっていて、
まるで平城京造営前の原野の中を歩いているかのよう。
朱雀門(間口25m、高さ22m、平成10年に復元)に到着。
この門は平城宮の正門にふさわしく二重構造の堂々たるもの。
この門を出ると平城京のメインストリートである朱雀大路が南へ延びている。
道幅75mの広さにも驚かされる。
朱雀大路の両側にいくつかの施設が整備されており、まず「平城宮いざない館」なるガイダンス施設に入館。
多くの出土品や展示資料、映像などがあり、1300年前の平城宮の様子や往時の営みなどを把握・体感することが出来た。
昼になり朱雀大路の向かい側にあるレストラン「うまし館」にて昼食。
昼食後近くに復元・設置されている遣唐使船を見学。
当時これだけの船が造れたのかと驚くと同時に、阿倍仲麻呂ら遣唐使たちにも思いを馳せる。
再び朱雀門から宮内に入り、南側中央まで歩き「東院庭園」を見学。
ここは天皇や貴族が宴会を行った所で、日本庭園の出発点とされる庭園。
平成10年に復元されたもの。
更に北東部まで歩き「遺構展示館」を見学。
奈良時代の役所の建物跡が発掘されたままの状態で保存・展示されている。
続いて北側中央まで来ると、そこには平城宮において最も大きく重要だった
建物の大極殿(間口44m、高さ27m、平成27年に復元)がある。
実に荘厳な建物で、天皇の即位や元日の式典に使われたとのこと。
内部には高御座(たかみくら)も置かれている。
この大極殿から前(南)方を眺めると広大な敷地のはるか遠くに朱雀門、その手前に大極門、
その横には今なお復元工事中の建物も見え、まるで奈良時代の平城宮建設の真っただ中にいるかのよう。
最後に、午前に入場した佐伯門近くの平城宮跡資料館に寄り、
完歩したスタンプラリーコースの記念品を頂き、16時頃に門を出て帰路につきました。
当初は5〜6kmの歩行とのことでしたが、終わってみれば1万6千歩、12kmにもなっており、
多少の疲れは感じましたが、スケールの大きな平城宮跡を自分の足で歩き、
多くの遺構や復元建物に接することにより、奈良時代の平城宮の様子ばかりか、
律令国家建設の過程、往時の高い技術レベルなども肌で感じ、知ることが出来、大満足の歩こう会でした。
(記:柴田喜三)
今回の参加者は、以下の11名でした。(敬称略)
磯田 智、岩田正博、大岡弘和、大村元孝、小林貞人、柴田喜三、
鈴木健治、直井一博、野呂忠章、馬場智章、森川栄壽
遣唐使船前にて
東院庭園にて
大極殿前にて
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