第54回歩こう会

東京を歩く 千住界隈散策

平成19年4月25日(水) 参加者 20名

 ( 顔の部分にマウスポインタを当てると名前が出ます 敬称略)
芭蕉旅立ちの起点、橋戸の渡し広場で記念撮影
旧街道とば口「旧やっちゃば入口」の芭蕉像の前で

 第54回「東京を歩く−千住界隈散策」報告。今回は、「千住大橋」を中心とした千住界隈を散策しました。千住は、かつて日光街道の初宿として栄えた宿場町です。
 4月25日午後1時、参加者総数20名、JR常磐線南千住駅改札口に集合。
 まず、駅近くの小塚原仕置場(刑場)跡に立寄る。往時の広さ間口60間余、奥行き30間余。明治初期までに約20万人が処刑されたと言われています。
 常磐線の高架を挟み2寺あり。
 左は「延命寺」。境内の首切地蔵(坐像)と南無妙法蓮華経のお題目が深く刻まれた題目塔が仕置場の名残を今に伝えている。
 右は「小塚原回向院」。入り口に、蘭方医杉田玄白等が腑分けを見学した「観臓記念碑」があり、奥に吉田松陰等志士達の墓碑が並ぶ。
 さて、いよいよ日光道中を往く。コツ通りから入る。昔コツと呼ばれた岡場所(私娼街)を通った道です。
 コツ通りと現日光街道が交叉する地点に、箕の輪の天王さまと呼ばれて親しまれた「素盞雄神社」があります。境内に、著名な「奥の細道矢立初の碑」があって俳人が多く訪れます。
 この北200mに、「千住大橋」の青いアーチが見えます。「千住大橋」は文碌3年(1594年)に初代関東郡代伊奈忠次によって架けられた隅田川では最古の橋。現在のアーチ付の橋は昭和2年に架け替えられたものです。
 橋を渡った北詰東にも芭蕉旅立ちの句碑があります。そこは橋戸の渡し。これより、広い道(現日光街道)を渡り、狭い旧街道に入る。
 旧街道のとば口は、旧「やっちゃば」(青物市場)跡。現在は、各戸毎に、昔の屋号と商標を印した表札が掲げてあり、「やっちゃば」の雰囲気が、わずかに伝わってきます。
 さらに北上、千住上宿(千住中組、北組)を通る。ここには、本陣、平旅籠に並んで、飯盛り女(娼妓)を抱えた食売旅籠が30余軒も軒を列ねていたと言います。将軍が日光参詣の折に立寄った寺や飯盛り女の供養塔などを巡り、千住宿の格式と歓楽を偲んだ次第です。
 午後4時半、予定した全行程を無事終了。 旧本陣辺りの居酒屋で打上げ。2時間ほど歓談、塩澤さんの中締めで、お開きとなりました。              
                                                     (岩田幸三 記)
 <出席者は次の20名でした。>
  石橋正康、市村義雄、岩田幸三、加藤 進、木原仁博、小林正威、佐藤 勇
  塩澤敏行、下瀬英樹、高橋義衛、柘植 茂、豊田安鴻、鳥居正義、根本 章
  野中矩仁、原田浩次、平松 久、松内俊夫、山本 猛、山谷章浩

仕置き場の名残を今に伝える延命寺 小塚原回向院
箕輪の天王様と呼ばれ親しまれた素盞雄神社 千住大橋北詰め東の芭蕉旅立ちの句碑

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