長浜支部「第14回歩こう会」

「敦賀歴史めぐりウォーク」

平成19年6月5日(火) 参加者 20名


 ( 顔の部分にマウスポインタを当てると名前が出ます 敬称略)
水戸藩烈士墳墓にて記念撮影
旧敦賀港駅舎

 梅雨入り直前ながら好天に恵まれ、今回は全員で列車に乗り敦賀駅まで行き(9:30集合)、”駅より始まるウオーク”となる。
 ボランティアガイド北村さんによる敦賀市の説明を受け、ウォーク開始。
 当初予定の道順を少し変更し、まず敦賀市立博物館に向う。 電線が地下埋設された電柱のないきれいな街路、彫刻を随所に飾っている市街地を通る。 博物館では特別展「敦賀の羅漢さま」と歴史民俗資料などを説明員と共に見学。
 次いで旧敦賀港駅舎。「人道の港 敦賀」と称される。 第2次大戦時(1940年)ナチス・ドイツ軍の手から逃れたユダヤ人難民はリトアニア領事館の杉原千畝氏が発給した「命のビザ」を手に敦賀港に上陸した。これより前1920年ロシアから計8回にわたり700名以上のポーランド孤児が上陸した場所でも知られる。
 一休み後、今回の第1のメイン地、金崎宮、金ケ崎城址に向う。 ここは小高い山(海抜86m)あり、今回の行程ではややシンドイ場所でもある。 ガイドの説明では”苦にならない階段”、「91段しかありません」とのこと。
 金ケ崎城は鎌倉幕府の後、新田義貞が後醍醐天皇の尊良、恒良両親王を奉じて足利軍と戦った古戦場でもあり、金崎宮には両親王が祀られている。
 また、織田信長の越前・朝倉攻めの折、秀吉が殿(しんがり)をつとめて窮地を救い、後の天下取りに結びついた場所でもある。
 この場所に立つと朝倉・浅井両軍の間に挟まれ、急遽退路を西にとった織田軍の殿(しんがり)をつとめたのが、いかに大変だったかが想像できる。
 戦国時代に思いを馳せながら昼食。 気温も上がってきたが、心地よい風に吹かれながら、第2のメイン目的地、水戸藩烈士墳墓地に向う。
 この地は幕末、武田耕雲斎率いる水戸天狗党が尊皇攘夷を唱えて挙兵。 朝廷に志を訴えようと京都へ上る途中、幕府の大軍に阻まれ353人が斬首された。 それらの人々の墳墓地である。
 その隣には烈士を祀った松原神社もある。
 この後、気比の松原とアクアトム(海とエネルギーの科学館)を訪れる予定であったが、天候のせいか、くたびれ者も多く、そのまま駅に向かい、自由参加でお楽しみの反省会を兼ねた、軽く一杯を行い、16時51分発の列車に乗り、長浜方面への帰途に着いた。
 今回の歩行距離は約10Kmであった。

参加者は次の20名でした。
 東 正一、足立英治、磯田 智、岩根信次、大村元孝、梶 道信、木下勝康
 小林 守、後藤健二、柴田清廣、鈴木健治、外海金太郎、中村利之、西川多気夫
 西沢芳朗、西島藤夫、広瀬 毅、武蔵秀夫、森川栄壽、世森幹治
                                               (磯田 智 記) 

金ヶ崎城址への登り口 水戸藩烈士墳墓
金ヶ崎城址頂上にて 反省会


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