長浜支部「春の歩こう会」

一豊、信長・秀吉の駆けた横山城跡ハイク

平成18年6月2日(金) 参加者12名

写真の顔の部分にマウスポインタを合わせると名前が出ます 敬称略
天神岩にて記念撮影
登山道を登る
ちょっと一服
横山城頂上


 今回は、大河ドラマ「功名が辻」で、若き一豊が信長・秀吉の下、駆け巡った姉川の合戦が 一望できる場所でもあり、小谷城攻めの前線基地ともなった横山城跡のある横山ハイク とした。

 6月2日(金)、当日うす曇で視界は残念ながら良好とはいえないが、標高差200m程度の 登り、下りのある約10kmの道のりでの歩きには最適な気候であった。
 北郷里公民館を出発点とし、まず長浜北部の田園を潤おしている姉川からの取水 ”郷里六川”と称される分水地を見学する。
 この地点が横山連山の一つ茶臼山登山口。茶臼山は古代弥生後期からの 円墳や前方後円墳が30以上も存在する場所でもある。
 古代豪族から戦国武将の駆け回った姿に思いを馳せながら、"龍ヶ鼻陣所”と呼ばれる 姉川古戦場、小谷山、虎御前山が一望できる場所で、小休止しながら歴史講話に耳を傾ける。
 登り道をしばらく行くと、麓の天満宮の基となったと言われる「天神岩」の場所に到達。 全員の記念撮影を行う。
 その後、急坂あり、下りありの尾根づたいの縦走路を歩き、古墳跡や城の 曲輪(くるわ、郭とも書く)跡、城の防御用に作られた堀切、竪堀などを確認しながら、 頂上地点標高312mの横山城跡に到達。

 横山城は近江の豪族京極氏の支城として造営、その後、浅井氏の支城となる。 姉川の合戦の後、小者として信長に仕えた秀吉が初めて城主として認められた記念すべき城。
 秀吉は、小谷城攻めのために増強、城域は南北640m、東西350mに 広がり、湖北最大級の規模をほこる山城であった。小谷城攻めの最前線基地であると ともに、織田軍団の岐阜と京都を結ぶ中継基地として重要な役目を果たし、建造物こそ 少なかったが、城の守備兵は二千三百有余人あったと記されている。
 ここからは、東に伊吹山・関が原、西に長浜市街をへて琵琶湖、 北に姉川、小谷山などが眺望できる所であるが、本日は、曇天のため霞んでしか 見えなかったのは、非常に残念であった。
 昼食をとり、再び縦走路に沿い下山、途中から林道に入り下山、最後に、 麓の天満宮に生涯学習の成就とボケ防止・健康維持を祈願し、今回の歩く会は終了した。

 帰着後、有志による汲月(社員会館)での一杯懇親会を開催。今回参加の 80歳過ぎの最年長者のように、いつまでも元気に健康でいられるにはどうしたらよいか の健康談義に花を咲かせ、全日程を終了。 次回での再会を誓い散会した。

 参加者は以下の12名でした。

  磯田 智、岩根信次、小林一好、柴田清廣、武内英之、外海金太郎
  中嶋 清、中村利之、西沢芳朗、馬場智章、森川栄寿、世森幹治

                               (磯田 智 記)     

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